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雑記帳(ブログ) - 体罰問題

体罰問題

カテゴリ : 
雑記・その他
執筆 : 
カカオ 2013-2-8 2:37
最近巷では体罰問題で持ちきりです。
中学生時代に柔道をやっていた自分としては女子柔道の話題も気になるし、近隣の学校でも大きな問題になっていて、他人ごとでは無い感じです。

柔道に関して言えば、私の部活の顧問の先生は殴ったりと言う事はありませんでしたが、今ほど柔道がスポーツ化しておらず、武道の毛色が強かった(特に末端レベルでは)という事もあって、厳しい(要するにすぐに手が出る)先生も多かったのを覚えています。
まぁ柔道は空手やボクシングのように、あからさまに殴ったりということはありませんが、そもそもが相手に対してダメージを与えるための武術がもとであり、柔道の前身の柔術には当身もありますし、投げ技と言うのは本来非常に致命傷を負わせやすい技ですし、何より締め技なんて、、、
そういう環境の中ですから、ある程度は体に叩き込まれると言うのも無いとは言えません。

そして体罰を行ったとして問題になっている先生が、問題とした人以外からはとても好かれていたり信頼を置かれていたりする事が往々にしてあると言う事。
自分もすぐに手を上げるけど、筋が通っていてカラッとした正確で好きな先生がいたし、逆に手はあげないけどネチネチと陰湿で嫌味で大嫌いな先生もいた。

体罰が良いとは言いません。しかし、何を体罰として何をしないのか。逆に言えば、体罰を行わなかったとしても精神的に追い詰めるのは良いのか。
そうした部分が余りにも置き忘れられている議論が続いている気がするのです。
程度問題はありますが、今回の件で自殺してしまった子は何に追い詰められたのでしょうか?
身体的な苦痛でしょうか?精神的な重圧でしょうか?それとも他の何かでしょうか?

受けた側にも身体的な痛みにより苦痛を感じる人もいれば、精神的なものにより苦痛を大きく感じる人もいます。その許容量も人それぞれ。
問題なのは、それらの個人差を見抜く能力と、個々に合わせた指導を行うスキルを持つ機会が指導者に与えられる場が少な過ぎると言う事ではないでしょうか。
これはスポーツに関してだけではなく、勉強や文化を指導する人間にも言えることだと思います。
心理学などまで含めたコーチングスキルの習得プログラムをより重視する。指導資格の必修にする。
そうした取り組みこそが、指導側も生徒側も幸せになれる唯一の方法ではないでしょうか。

そしてもう一つの大きな問題はマスコミの対応。
私はこれが一番厄介で、本質を見失わさせる原因だと思います。
何か一つのセンセーショナルな事件が起こると「他にも無いか」と嗅ぎまわり、普段では見向きもしなかった事案を大々的に取り上げて視聴率稼ぎや部数競争に明け暮れる。
確かに社会の問題を浮き彫りにし、広く知らしめることはジャーナリストの重要な使命でしょう。
しかし、少なくとも最近の報道などを見る限りでは必要以上に感情論に走り、視聴者や読者の感情を煽るような論調ばかりをがなり立てる。
TV番組などは特にそうで、コメンテーターにも知名度はあるのでしょうけど、とてもその問題に深くかかわってきたとは思えないような、いわゆる「物知り顔」した人間ばかりを使って騒ぎ立ててしまうので、どうにも「大変だ!それはいけないことだ!」という感覚だけを植え付けられてしまう。
そのコメンテーターがいけないと言う訳ではなく、そうした番組制作の方向性が問題だと思います。ニュートラルな立場で問題を直視しよう、させようという意図が感じらないものが多過ぎる気がします。
中にはそうした主観を重視して問題提起して行くものも必要だと思いますが、ニュース番組ですら余りに「結論ありき」の伝え方が目立ち過ぎると思います。

私は体罰には絶対に反対です。
しかし、そうした事を行った指導者を処罰したり、吊るし上げたりすれば問題は解決するのでしょうか?
航空機の事故調査では、絶対に個人の責任で片付けないという原則があるそうです。
過失は過失としてしっかりと調べますが、「何故それが起こったのか」が何より大切という事です。つまり、「どういう環境とシステムがその過失を引き起こす事を可能にしたのか」という事を徹底して追求し、「その個人の能力や特徴のせいである」と言う結論は許さないということでしょう。
例えば一人の整備士が、酒に酔った状態で整備を行いミスをしたとします。
一般的に見れば酒を飲んで勤務したその整備士の責任ですが、それを追求した所で再発は防げません。
大切なのは何故その整備士が酒を飲んだ状態で勤務するという異常な事態を許してしまったのかという仕組みの問題を解決することです。

今回の問題でも同じで、同じ成果を得るために体罰を含めた苦痛を与える事しか選択できないと言うのは、コーチングスキルの不足です。
例えばサッカーで、マンチェスターユナイテッドの監督が中学生を指導して全国レベルに導くのに体罰を必要とするでしょうか?推測にしかなりませんが多分必要無いでしょう。
問題は低いコーチングスキルしか持たない人間を指導者にしてしまわない環境作りであって、個人攻撃でそれが可能になるとは到底思えません。「指導者も育てなければならない」「育てられるべき人間だ」という点を忘れてはならないと思います。
そして資質的、状況的にどうしても体罰を行ってしまう人がいたとすれば、その人が指導者になってしまわないようにすること。
適性の無い人を指導者にしてしまわない、同じ人でも体調や家庭事情などでイライラした精神状態の時もあるわけですから、そのような精神状態の時に指導をしてしまわない、そうした環境作りにこそ目を向けるべきではないでしょうか。
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