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メインコンテンツ テーマの見つけ方 (2014-7-5 2:21:34)
テーマの見つけ方 以前にこちら でもテーマについて書いていますが、「見つけ方」という観点で整理してみたいと思います。 写真教室に通ったり、雑誌などで添削されると、必ずと言って良いほど言われるのが「テーマを持って撮影しなさい」とか「テーマが不明瞭」といっ ...
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トップ  >  レビュー・コラム  >  写真四方山話  >  作品として描くか、記録として残すか
記録 アート 表現 アプローチ
写真にはその被写体を問わずアートとしての側面と、記録としての側面があると思います。
その部分を良く混同してしまっている人もいると思います。

先ずはアートとしての側面。
写真を完全なアート作品として見た場合、レタッチだろうが合成だろうが基本的に何でもありだと思います。この場合は絵筆をカメラに持ち替えただけですから。
もともと写真は絵画手法の一つだったわけですしね。
アートに制限や「こうあるべき」というようなものを求めること自体がナンセンスでしょう。
また、現実と非現実の狭間というのか、そうした部分が写真でアートする一つの楽しさでもあると私は思っています。

もう一つはフォトリアリズム(絵画でいうスーバーリアリズムではなく)とでも言うのでしょうか。記録としての側面です。報道写真や生態写真などのドキュメンタリー写真が代表でしょう。
完全に記録写真の場合もありますが、高いレベルの作品性を持ちながら記録の側面を持つものもあるでしょうし、記録ということそのものが最高の作品である場合もあるでしょう。
「森羅万象、ありのままの姿を切り取る」ということが理念のナショジオなどは良い例かも知れません。
この場合は主観による演出や合成などは排除されるべきでしょう。

写真愛好家の中には合成加工はおろか軽微なレタッチやトリミングまでもNGと考える方もいるようです。
これは自分の中に課した制約であるなら問題ないのですが、人の作品にまでそれを求め始める、自己表現性の高いアート的な作品なのに「レタッチしてあるから」と受け入れられない感性となってしまうと、写真というものの味わいを希薄なものにしてしまいかねません。
撮影技術を追求する事は悪い事ではありませんが、最終的にアウトプットされたイメージを先入観無くフラットに受け止められる感性を捨ててしまうと頭でっかちになってしまうと思います。
私のように加工に抵抗の無い人間だと、「写実的、現実主義でないものを写真で表現したいというなら絵を描けばいい」なんて意味合いの言葉をかけられる事がよくありますが、それは「立体感のある絵を描きたい」と言っている画家に「絵筆を捨ててノミを持て」と言っているようなものだと思います。
もちろん逆もまた然りで、画像としての「でき」というか見栄えだけに捉われ過ぎても本質を見失いかねません。

これらはどちらが良いとか悪いとかではなく、「相手に何を伝えたいのか」、「自分が何を表現したいのか」、「そのための手法は何なのか」という事であって、同じカメラという道具を使いながら重なり合う部分もあれば相反する部分もあるという事です。

私は自分がどちらに軸足を置くフォトグラファーであるのか、その作品で伝えたい事を伝えるためにはどういったアプローチをすべきなのかを自問しながら、人の作品を拝見する時には相手がどちらに軸足を置いて伝えようとしているのかを読み解けるようになりたいと願っています。

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