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千の風になって 吹き渡る風と共に

a thousand winds
- 吹き渡る風と共に -


最初にお断りしておきますが、この詩は私の完全なオリジナルではありません。
原作となった詩があります。
ご存知の方も多いかと思いますが、作者不明の英語詩として有名な「a thousand winds(Do not stand at my grave and weep)」を元に作りました。
言葉は専門ではありませんし、フレーズにマッチするショットが無いためにレタッチや合成を多用した部分もあります。BGMもWeb用と言うことで著作権フリーのものです。
正直、全く満足の行く出来にはなっていません。ですから現時点で完成版と言うことではなく、この詩を完成させる事がこれからの私のライフワークになっていくかもしれません。
そういう訳で未完の拙い作品ですが、ご興味のある方はお付き合い下さい。
※スライドショー再生のリンクは最下にあります。


★生と死と自由と
私は子供の頃、「自分は何のために産まれてきたのか、生きているのか」と言うようなことを真剣に考えて(妄想して?)いるような変な子供でした。
結論として、「死ぬまで生きるため」と言う答えに行き着いたわけですが、では「死とは何なのか?」と言う疑問が湧いてきます。
宗教的には「死」は様々なとらえ方をされています。
例えば「生まれ変わり」、仏教で言えば「輪廻転生」と言うやつでしょうか。そうやって繋がっていくもので「終わり」ではないのだと言うとらえ方。
例えば「終焉」、「死せば全て無に帰す」と言ったとらえ方。
「死」と言うのは、生きている人は体験できませんから「死んだらどうなるのか」と言うのは本当の意味では誰もわかりません。
臨死体験で体験する事柄も、それが「死」と結び付くものであるのか、それとも極限状態に置かれた体、脳が反応しただけのものなのかは誰にも証明できません。

ただ、そのなかでも一つだけ確かな事は、「死んでも残る(遺)ものはある」と言う事ではないでしょうか。
一番分りやすいのは遺伝子でしょうか。
子供を作り、遺伝子情報を後世に残す事は生物の最大の目的でもあります。
でもそれだけが「残るもの」ではありません。
記憶もその一つです。
産まれて間もない赤ん坊であっても、子孫を残せなかった人であっても「記憶」には残ります。記憶はまたそれぞれの生命に影響を与えて未来へと繋がっていきます。
多くの人々の築き上げてきた「文化」と言う名の記憶もあるでしょう。
例え動物や植物であっても、何の意味も無く死んでいく生命は一つとしてありません。あるいは死によって仲間にある事が危険であると知らしめたかもしれません。
遺伝子や記憶と言った「情報」以外のものでも残るものは有ると思います。
それは「エネルギー」です。
人間に限らず、生命は他の生命のエネルギーを得る事で生きています。
人も自然の大循環の一部である事に変わりは無く、そういったエネルギーの一つとして自然界に回帰し他の生命の中に宿っていくのだと私は思います。
逆に「今、生きている」と言うことは、そういった遺伝子や記憶、エネルギーの蓄積と循環によるもので、決して自分一人で成り立つものでは無いのです。

遺伝子、記憶、エネルギー。生命は死してなお多くのものを残します。
つまり、「死ぬまで生きる」と言うのは「死ぬまでに何が残せるか」と言う事です。そうなると「そのためにどう生きるか」が問題になってきます。
私は「自由に生きる」事が最も多くのものを残せる生き方だと思います。
「自由のために」と言い換えても良いかも知れません。

「自由」と言うのは難しい言葉です。
「自由と言うのは自分勝手な事でも無秩序な事でもない。」なんて言うと学校の先生の決まり文句のようですが、別に大人の都合で子供に言うことを聞かせるために言いたいわけではありません。
自由を辞書で引けば「自分の意のままに振る舞うことができること」などとなります。
字の意味を調べれば「自」は「みずから」や「ひとりでに」、「もともとから」などと言う「場所や時の起点を示す」意味を持つ字で、「由」は「○○から出てくる」や「○○に基づく」、「あるルートに従う」などの「その事が生じる原因」と言うような意味がある漢字です。
これらを総じて見ると自分自身のルールとか価値観とか、そう言ったものをしっかり持っていない人間には「自由」は無いと思えてきませんか?
何が「自由」であるかを決めるのは、それこそ本人の自由ですけどね。私は無法と自由は違うものだと思っています。

ただ自由の定義は別としても、本当に難しいのは「自己の自由のために他人の自由を侵害しても良いのか」と言う点。
私の基本的な考え方として「生きているのは迷惑をかけること」と言うのがありますが、生きていくためには多かれ少なかれ他者(人間以外も)の自由を侵害します。この自由を侵害する事を「迷惑」と呼ぶのだと思います。
しかし、大切なのは「侵害しない事」ではなく、「どんな時にどの程度侵害し、また自分はどの程度相手からの侵害を許すのか」と言うバランスでしょう。
答えの出ない事かも知れませんし相手との距離によっても異なってくるでしょうが、考える事は大切です。

私は菜食主義を好みません。健康のためとか言うのならまだしもですが、「動物を食べたくない」と言うのは植物に対する差別であり、「植物の自由は侵害しても意に介さないが動物の自由は侵害したくない」と言う考えは賛同しかねるからです。
しかし、己の自由意志で菜食主義を貫く人を否定する気はありません。
そういうことを考える事もまた大切だと思っています。

私は自由と言うのは自己を確立してこそ本当に手に入るものだと思っています。
しかし、生命は死ぬまで成長し続けるものだとも考えているので、自己を確立できるのは「死」のその瞬間でしょう。
「死してこそ本当の自由が手に入る」と言うような意味合いの言葉は全世界でよく聞く言葉ですが、これにはそういう意味もあるのではないかと思います。
先にも言ったように、生命は様々な遺伝子や記憶、エネルギーの蓄積と循環によって成り立つもので、私自身も親や今まで出会ってきた人々、食料となってくれた生命たち、さらにそれらに関わってきたきた全てのものたちの中で自己を形成しています。
私が「死ぬまで生き」続け、何を残せるかは分りませんが、その事こそが自由のために生きる事であり、私の生きる意味なのです。

そして私にとって写真と言うのは「自由へと誘ってくれたもの」であり「記憶」であり、また「残すもの」であるかも知れません。「道を示してくれたもの」と言っても良いかも知れませんね。
少し離れる時期があってもまた戻ってきてしまう。
原点であり終着駅でもあるのかも知れません。

そんな中で出逢ったある一つの詩「千の風」。
この詩は正しく人々の文化の中で受け継がれ、精錬されて来た自由の詩だと思います。
今、私はその「千の風」をベースにした作品制作に取り組んでいます。
と言っても、今はやりの「千の風になって」ではありません。
「千の風」、つまり作者不明の英語詩「a thousand winds」の事です。
母の死と言うキッカケもありました。


★a thousand windsとの出会い
現在「千の風になって」というと紅白歌合戦でも秋川雅史さんが歌われた新井満さんが訳して曲に乗せたものが一番に思い浮かばれるかもしれませんが、私が「a thousand winds(Do not stand at my grave and weep)」に出会ったのは9.11アメリカ同時多発テロの追悼セレモニーの時でした。
先にそちらに出会ってしまっていたので、「千の風になって」はアレンジの一つとして好きではあるものの、原詩と比べるとかなり違和感があるのも事実で、さらに言うなら音楽もかじっている人間としては「曲ありき」の部分も見え隠れしてしまうので原詩の「a thousand winds」を知った時程のインパクトと言うか心に刺さるものはありませんでした。

これは別に「千の風になって」を否定するものではありません。最初にも書いたように「楽曲」としては大好きなんです。ついつい口ずさんでしまうほど(笑)
あるいは一番最初に出会ったのが「千の風になって」の方であれば、もっとインパクトがあったのかもしれませんが、そうではなかったので印象の中ではやはり「アレンジ」の域を出ないのも事実。

ただ、こういった「文化の中で育ってきた作品」と言うのは「何がオリジナルか」と言うことはあまり意味を持た無いとも思います。言うなれば「数あるアレンジの中で最初に出会ったもの、最も気に入ったものがその人にとってのオリジナル」となるのでしょう。
なので、もし「千の風になって」に最初に出会い、感銘を受けた方はその感覚を大切にして下さい。貴方にとってはきっとそれが「オリジナル」です。

先にも書いたように「千の風になって」は「a thousand winds」の日本語訳なのですが、実は日本語で訳されたのは私の知りうる限りでは新井満さんで3人目。
南風 椎さんの「1000の風」と鎌 章二郎さんの「千の風」というのが先にあります。
新井さん自身も南風 椎さんの「1000の風」と最初に出会ったと記されていますね。

また、楽曲に「a thousand winds」を併せたものは「千の風になって」だけではありません。
有名所ではキャサリン・ジェンキンスと言うウェールズ出身のメゾ・ソプラノ歌手が歌う「Do Not Stand At My Grave And Weep」となどでしょうか。
最近では日本でも「千の風になって」のヒットで千の風になって(UKオリジナル・ヴァージョン)等として発売されているようですが、恐らくこちらの方が先であるうえに「千の風になって」は新井 満さん訳のa thousand winds日本語訳版のタイトルなので、それを使うのは微妙な感じですね。無理に日本語タイトルにしなくても^_^;

この「Do Not Stand At My Grave And Weep」はかなりオススメです。
英語が分らなくても、メロディと歌声に涙できる一曲。
彼女のベストアルバム「夢を生きて~キャサリン・ジェンキンス」には「Do Not Stand At My Grave And Weep」はもちろん映画「ボディーガード」のテーマ曲のイタリア語バージョンや聖歌のジュピター、アメイジング・グレイスなどの親しみやすい、日本人にも御馴染みの楽曲が多数収録されているので、せっかくならこちらが良いかも知れません。

私が「a thousand winds」に出会っったのは9.11アメリカ同時多発テロの追悼セレモニーでしたが、調べてみると1970年代には既に映画俳優のジョン・ウェインが朗読したり、マリリン・モンローの25回忌で朗読されたりとかなり広く知られていたようです。
このように千の風「a thousand winds」は長く欧米諸国で親しまれている詩なんです。

ところで、「千の風になって」の原詩が「a thousand winds」なのをご存知の方は多いと思いますが、この「a thousand winds」にさらに原詩がある事をご存知の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか?

「a thousand winds」の原詩については諸説あるのですが、私はどこかで突発的に発生した(誰かが作った)と言うよりも長い時間をかけて多くの人々の中、地球人の文化の中でで出来上がってきた「自由の詩」だと思うんです。
ただ、その上で「これが原詩ではないか」と支持されているメアリー・フライ氏(メリー・E・フライとも?)が書いたとされる詩。これが何となく私の心に響くものがありました。
それが本当に原詩であるのかどうかは分りません。でも何となく好きなのです。


★ a thousand windsとの再会
母が他界してから半年が経った頃。ようやく母の死に実感が湧いて来て、同時に様々な後悔も溢れてきていた頃です。
非常にお恥ずかしいのですが、私は母の墓に殆ど足を運んでいません。母だけではないのですが、身近な人であればあるほど「お墓」でその人に逢える気がしないのです。
そんな中、私は一つの詩と出会いました。
正確に言えば出会ったのはもっと前の事だったので、出会ったと言うよりは再会したと言った方が正しいのかもしれません。
その詩が「a thousand winds」です。
先にも書いたように再会したのは原詩ではなく日本語訳の「千の風になって」ですが。

この詩を知ったのは、知人に「まるで貴方のお母さんの事を詠っているみたい」と言われ、興味を持ったのがきっかけでした。
本屋に走り、最初に目に留まったのが新井 満さんの「千の風になって」。
早速購入して読んでみると、なるほど確かに母が言っているような感じ。
身近な方を亡くした方は多くの人がそういう感想を持つのかもしれませんが、詩と一緒に掲載されている写真も母が大好きだった美瑛を連想させるようなものが多くて余計に。

そして読み終わってから、と言うよりも冒頭に載っている原詩を見返して気が付いたのですが、この「千の風になって」の原詩は9.11テロの追悼セレモニーで朗読された「a thousand winds」なんですよね。
「千の風になって」はどうも曲にのせる事を前提にしているようで、原詩とはかなり違っていたので暫く気が付かなかったのです。
グラウンドゼロでの追悼セレモニーではテロで父を亡くした少女が朗読しており、日本のニュース番組などでも流れたその少女の姿はとても印象的で涙が溢れて止まらない程のインパクトを受けました。
確か私の記憶では日本語訳のテロップが出ていたと思うのですが、あれは誰の訳だったのかな?
タイミング的にも新井 満さんのではない事は確かなのですが、、、

さらに、9.11テロは母の記憶とも繋がる出来事なんです。
その時、母はタイへ海外旅行に出掛けており、帰ってくる日が重なって無事に帰ってこられるのかスゴク心配した事もあり、何故か記憶が重なるのです。
そして1年後のグラウンドゼロでの追悼セレモニーの時に出逢った詩「a thousand winds」。
その詩とこのタイミングで再会したのは運命だったのかもしれません。


★ a thousand windsについて調べる
この詩に俄然興味が湧いた私は、色々と調べてみました。
この「a thousand winds」は長く欧米諸国で親しまれている詩で、1970年代には既に映画俳優のジョン・ウェインが朗読したり、マリリン・モンローの25回忌で朗読されたりとかなり広く知られていたようです。
楽曲に乗せた作品も多くあり、ウェールズ出身のメゾ・ソプラノ歌手キャサリン・ジェンキンスさんが歌う「Do Not Stand At My Grave And Weep」などが有名です。
彼女のベストアルバム「夢を生きて~キャサリン・ジェンキンス」などで聴くことができます。

日本でも最近は新井 満さんのアレンジされたもの。それをテノール歌手の秋川 雅史さんが歌われた「千の風になって」が大ヒットを飛ばしていますね。
また、日本語に訳しているのは新井 満さんだけでなく、「1000の風」という題名で南風 椎さんが、そして「千の風」という題名で鎌 章二郎さんなどが訳されています。
他の2つの訳も読ませて頂きましたが、どちらも「千の風になって」よりはかなり原詩に近い訳し方のようで、どちらが好みか意見は分かれそうですね。
個人的には鎌 章二郎さんの訳されたものが一番好みでした。

そして次に起源についても少し調べました。
なぜかと言うと「a thousand winds」は作者不明の詩として有名で、「作者不明って何?」という疑問が漠然とですが前々からあったからです。
作者不明と言う事は当然著作権も無いわけなので、原詩「a thousand winds」を載せておきましょう。
-----------------------------------------
a thousand winds(Author Unknown)

Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn's rain.

When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.

Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.
-----------------------------------------


英語は苦手ですが辞書や翻訳ソフトを使いながら自分なりに訳してみました。
---------------------------------------------
千の風(訳:カカオ)

私のお墓の前で泣かないで下さい。
私はそこに眠ってなどいません。

私は吹き渡る千の風です。
私はダイヤモンドのように輝く雪です。
私は命育む陽光です。
私は優しく降注ぐ秋雨です。

貴方が朝の静寂の中で目を覚ますとき、
私は弧を描いて舞い上がる小鳥たちの羽ばたきとなります。
私は夜空に瞬く星です。

私のお墓の前で泣き声をあげないで下さい。
私はそこにはいません。死んでなどいないのだから。
---------------------------------------------
完全な直訳ではないですが、多分近いと思います。
苦労したのはI am the swift uplifting rush Of quiet birds in circled flight.の部分。
引っ掛かったのは「rush」なのですが、これには鳥の羽音の意味もあったと記憶していたので、前後の文脈から多分「弧を描いて舞い上がる小鳥たちの羽ばたき」みたいなニュアンスかなと考えたのですが、自信はありません。
「quiet birds」は静かな鳥?「quiet」は「平穏な」みたいな意味ですよね?って事は平和の鳥「鳩さん」と訳して「素早く飛び立つ鳩の羽音」って感じも「あり」かと思ったんですが、前記のニュアンスの方が好きなのでそちらを採用(笑)
I am the sunlight on ripened grain.も直訳すれば「穀物を育てる日光」みたいな感じでしょうが、多分慣例的な使われ方なのかなと思って「命育む陽光」にしました。


★ a thousand windsには原詩がある?
色々と調べていて分かったのは作者不明とされている「a thousand winds」には、原詩が存在すると言う事。
と言うよりも、その大元の詩が口伝で伝わるうちに様々に形を変え、作者不明の「a thousand winds」として人々の中に定着したと言うのが実際の所のようです。
つまり、現状の「a thousand winds」は長い時間をかけて多くの人々の中、地球人の文化の中でで出来上がってきた「自由の詩」なんですね。

事実であるかどうかは議論の余地もあるようですが、私が調べた限りでは1932年にアメリカ人女性のメアリー・フライ(Mary Frye)さんが書いたと言う説に信憑性を感じました。
他にもネイティブアメリカン説(これは新井さんも押しているようです)を始め諸説ありますが、本人が認めている事や書いた年、シチュエーションなどが具体的なので。
そしてさらに私がその原詩を何となく好きになってしまった事もあります。
この原詩も1930年代に書かれたことや、メアリー・フライさん自身が「この詩は皆のもの」と言われている事から載せさせて頂きます。
-------------------------[原詩]-----
no title (Words by Mary Elizabeth Frye)

Do not stand at my grave and weep
I am not there, I do not sleep
I am in a thousand winds that blow
I am the softly falling snow
I am the gentle showers of rain
I am the fields of ripening grain
I am in the morning hush
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight
I am the starshine of the night
I am in the flowers that bloom
I am in a quiet room
I am in the birds that sing
I am in the each lovely thing
Do not stand at my grave and cry
I am not there I do not die
------------------------------------
かなり違いますでしょ?
先程も言った通り英語力皆無な私なのですが、辞書を引きながら自分なりに解釈してみると何となくこの原詩が好きなのです。真実の作者が誰かとかはもうその時点で興味なし(笑)

で、自分なりに訳してみました。これまた直訳じゃないし、間違っている所もあるかもしれませんが、よろしければどうぞ。
-----------------------------------------------
私のお墓の前で泣かないで
訳:カカオ  原詩:メアリー・フライ

私のお墓の前で泣かないで下さい。
私はそこにはいません。眠ってなどいません。

私は幾千の風に吹かれています。
柔らかく降り積もる雪となり
穏やかに降り注ぐ雨となり
生命(いのち)を紡ぐ大地となり
朝の静けさの中にいます。

私は弧を描いて優雅に飛ぶ
小鳥たちの羽ばたきの中にいます。
夜空に輝く星となり
咲き誇る花となり
心安らぐ部屋の中にいます。

私は歌う鳥となって
とても美しい数多(あまた)の景色の中にいます。

私のお墓の前で泣き声をあげないで下さい。
私はそこにはいません。私は死んでなんていません。
-----------------------------------------------
訳すのに苦労したのは同じくI am in the graceful rush Of beautiful birds in circling flightの部分で、a thousand windsとも微妙に違っています。
「graceful rush」は「優雅な羽ばたき」として「美しい鳥の優雅な羽ばたき」。
「circling flight」を「弧を描いて飛ぶ(旋回飛行)」と取るのか「周りを飛び回る」と取るのかも悩みました(これはa thousand windsでも迷いました)が、「弧を描いて優雅に飛ぶ小鳥たちの羽ばたき」のようなニュアンスかなと。
「私は貴方の周りを飛び回る小鳥たちの羽ばたきの中にいます。」っていうのもありかとは思ったんですが、、、う〜ん、難しいですねぇ。。。


★ メアリー・フライ氏の原詩などをもとにアレンジする
さらにこれらをベースに自分なりのアレンジを加えてみたのが以下の詩です。
-----------------------------------------------
a thousand winds - 吹き渡る風と共に -
原詩:メアリー・フライ   編詩:カカオ(2007年1月)


私のお墓の前で泣かないで下さい。
私はそこにはいません。眠ってなどいません。


私は吹き渡る風と共にいます。
穏やかに降り注ぐ雨となり
柔らかく降り積もる雪となり
生命(いのち)を紡ぐ大地となり
暖かな光となって穏やかな時間の中にいます。

貴方が朝の静けさの中で目を覚ます時、
舞い上がる小鳥たちの羽ばたきの中に私はいます。
貴方が心安らぐ部屋の中でくつろぐ時、
私は人々の笑い声となって貴方に語りかけます。

私のお墓の前で泣かないで下さい。
私はそこにはいません。死んでなどいません。


私は流れゆく雲と共にいます。
軽やかに舞い散る桜となり
木漏れ日に煌く新緑となり
涼風(すずかぜ)に揺らぐ紅葉となり
瞬く星となって数多の景色の中にいます。

貴方が庭の陽だまりの中で佇む時、
咲き誇る花と戯れる蝶たちの中に私はいます。
月明かりの小川のせせらぎに耳を傾ける時、
夜風に舞う蛍となって貴方を癒します。

私と話したくなったら
丘を吹き抜ける風に耳を傾けて下さい。
私に逢いたくなったら
皆で楽しく賑やかに笑って下さい。

私のお墓の前で泣き声をあげないで下さい。
私はそこにはいません。貴方の笑顔と共にいるのだから。
-----------------------------------------------

私はこの詩のコンセプトは生命の循環だと考えています。
「死」は「終わり」ではなく「始まり」なのだと。
今ここに生きる私の命は私だけのものですが、太古の時より脈々と受け継がれ、遥かな未来へと受け継がれて行くであろう壮大な循環の一部でり、もちろん自然の中で循環する一部でもあると考えています。
ここで言う「循環」は何も遺伝子的なことを指しているわけではありません。
私が生きてきた中で出会った人の記憶は私の中にあり、そういったものの積み重ねで私と言う人間が形成され、またその私とであった人の中に息衝いて行く。
だから人(と言うよりも生命)は生まれた瞬間から意味があり、価値も平等にあり壮大な循環の中を巡り始めるのだと。死してもなお「それ」は続くのだと。
これは私の人生観でもあります。

そう考えた時、亡き母の姿は自然の景色の中と人々の日常の生活の中にあるように思えてならなくなりました。
懐かしい風に包まれた時、人々の笑顔に触れた時、母はきっとその中に居るのでしょう。

かなり書き足していますし、直訳で無い部分も多いです。
と言うか、原型を留めてませんね^_^;
a thousand winds that blowを「千の風」ではなく「吹き渡る風」としたのは、おそらく「千の風」と言うのは慣用句的なものか方言のようなものではないかと思い、英語圏の方ならまだしも私にとっては馴染まない感じがあったからです。
私の母ならきっとこう言うであろうと、そう思える言葉を選びながら日本独特の四季や母の姿を追った景色も加えました。

多くの人にとってそうであるように、私にとって母はかけがえの無い唯一無二の存在です。
そんな母を感じる詩を私と母が撮った写真などと共に作品にしてみたい。
そういう思いからこの写真詩を作りました。
私にとって今この詩は母のため、母に逢うためのものですが、皆さんの親しい人ともこの詩の中で逢えたなら幸いです。

長々とお付き合い頂きありがとうございました。
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